空の目 -1-

(この木の上には空の目そらのめがあって)
(そこには道しるべの神様がいるんだよ)
 目の前に立つ大きな木を見上げて、理沙りさはそんなことを思い出していた。もうずっと昔に母が語ってくれたおとぎ話だ。なんだか長い話だったような気もするけれど、話の内容はほとんど忘れてしまって、今はっきりと思い出せるのはその部分だけだった。
(空の目……)
 理沙はため息をつく。ひどく気が滅入っていた。
 今日はいろんなことがありすぎた。仲の悪いクラスメイトと喧嘩して水をぶっかけられたり、担任から、第一志望の高校は今の学力では難しい、と言われたりしたことも理沙の気を滅入らせるのに充分な出来事だったが、今日一番ショックを受けたのは、ある男子生徒から告白されてしまったことだった。
 愛の告白、というやつである。
 思い出すと恥ずかしくて顔がゆがんでしまうのだが、その羞恥と一緒にこみあげてくるのは、いいようのない不安だった。
(なんであたしなんだろう)
 そんなことばかりが頭の中をぐるぐる回って、気がつくとここへ来ていたのだった。
 昔は、嫌なことがあるとよくこの木の前に来て、ひとりでぼうっとしていたものだった。人目のない時には、その太い幹にしがみついたりもした。そしてしばらくすると、なんだかうまくいくような、道が示されたような気がして、満足して帰っていった。そのときはただ純粋に、これは道しるべの神様のおかげなんだ、と思っていたけれど、今思えば、あれは信じやすいこどもの心がもたらした、一種の思い込みの世界だったのかもしれない。
 とにかく、最近はこの場所とも縁がなかった。なぜここに来てしまったのかはわからないが、すがれるものが欲しかった。激しく動揺してしまった心を落ち着けたかった。
 理沙は木を見上げた。
(なんであたしなんだろう)
 また思った。
 理沙は泣きたい気分だった。ただでさえ人づきあいを疎ましく思うのに、この上さらにやっかいごとを持ち込みたくなかった。
(どうしろっていうのよ……ねえ?)
 右手を木にあてて心の中で問いかけてみる。もちろん答えなどはある筈もないが、今は『道しるべの神様』を信じれるような気がして、そのまま幹に頬をすりよせてみた。
 ちょうどその時、である。
 ばしゃんっ、と派手な音をたてて水がふりかかってきたのは。
 すぐそばで、なぜかバケツを持った女がびっくりしたように目を見開いていた。
 なにがなんだかわからず、理沙はただ呆然とそこに突っ立っているだけだった。


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