AI -5-

 昔、朝奈あさなは悪くない、と必死に主張したりゅうに向かって、もう顔も覚えていない科学者はこう言った。
 そうだ、朝奈は悪くない。けれど原因は彼女なんだ、と。
 流は薄く笑った。
 原因、か。
 原因を取り除けばおまえらはそれで満足か。罰されるべきなのは、原因を、朝奈という生き物をつくりだした、おまえら自身ではないのか。
 冷たい風が頬を刺す。流はうつむいて、ひとつかぶりを振った。
 ああ、違うな。
 違うんだ。俺が求めているのは、責任や刑罰の対象などではない。そんなものでは決してない。
 俺が求めていたのは、彼女と、朝奈と共にいられる世界。みんなが幻想だと、あってはいけないことだと否定する、頭の中だけの願望。
 たしかに幻想だろう。かなわぬ願望なのかもしれない。
 それでも俺は信じていた。裁判で判決が出た後も、朝奈が目の前にいるかぎり、俺はそんな幻想を信じ続けることができた。まだほかに、方法があるはずだ、と。
 流はゆっくりと歩きながら、その当時の自分を思った。それまでの人生において、これ以上ないだろうというほど必死だった自分の姿を。救いようのない、哀れなほど必死だった過去の己の姿を。
 そうか。過去か。流は思った。過去なんだな、みんな。
 朝奈はあのあと、「運動」の拡大により、一度も外に出ることはなかった。
 彼女は自分の死をあっさりと受容していたが、自分がなぜ死ななければならないのか、ということは理解していなかった。
 だから繰り返し聞くのだ。普通の顔で、私はなぜ死ぬの、と。
 無邪気さゆえに、哀しかった。
 朝奈を知っている全世界の人間に、この彼女の姿を見せてやりたかった。
 おまえたちの殺そうとしている女は、こんなにも無邪気で、そして哀れな女なんだ、と、そう。
 雪は靴底を埋めはじめていた。よく降るな、と流はなんとなく後ろを振り返った。自分の足跡が、ずいぶん遠いところから続いていた。
 流はその光景に、果てしなく空虚な感慨を覚えた。
 歩かなければならない。朝奈のいない世界を。現実が否定した彼女を、幻想の中で生かすために。
 「……ん……」
 突然、もぞもぞと背中で動く気配がした。流は口元に苦い笑みを浮かべ、その少女を見た。
 「起きたのか」
 「………………まだ……」
 ややかすれた声で、晶子しょうこは答えた。まだってなんだよ、と流は思ったが、相手はかなり眠そうだったので、そっとしておくことにした。
 しばらく雪を踏む音だけが聞こえた。あたりに人影はない。高層住宅が立ち並ぶ街道は、もう人が出歩く時間ではないことも手伝って、ぴんと張り詰めたように静まり返っていた。
 「……ねえ、おじさん」
 しばらくして、晶子はぽつりとつぶやいた。彼女の目は、睡魔のために今にも閉じてしまいそうだった。
 「……おじさん、あったかい……?」
 どうやら、さっきマントのように巻き付けた薄い毛布のことを言っているらしい。流は少し笑って、小さく小声で答えた。
 「前が開いてるからな。あんまり変わらないよ」
 「……えー、そんなことないよ。晶子さっきよりあったかいもん」
 「そうなのか?」
 なぜか怒ったように言う晶子に、流はおかしそうに問い掛けた。すると彼女は、こくりと小さくうなずいた。
 「……だって、ふたりではんぶんこするのあったかいじゃん。気分的に」
 そう言って晶子は、ふふっと小さく笑った。あっけにとられて無言になった流をよそに、眠そうに大きなあくびをした晶子は、目の前の肩に顔をうずめて静かになる。しばらくして、規則正しい寝息が聞こえてきた。
 流はまた不意打ちを食らった気分だったが、しばらくして、思わず苦笑がもれた。
 そうか。
 何に対してか、流はそう思った。
 そうか。……そうなのかもしれないな。
 首筋に、少女の暖かい寝息がかかる。
 暖昧にぬかるんだ体温を背中に感じながら、流はぼんやりと浮かぶ明かりを目指して歩き続けた。
 それもいいかもしれない、と思いながら。


END.


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