AI -2-

 真夜中だった。もう午前2時を回っている。
 本当はもっと早く帰ることができるはずだったが、仕事帰りに顔見知りの婦人とばったり出会い、電気配線の工事の依頼を受けたのだった。
 仕事柄、そういう依頼は多く受けていたが、この家は特に配線が複雑化していて難しい工事だったせいもあり、気がついてみればこの時間である。
 あたりは真っ暗だった。道をともす街灯さえもついていない。
 別に田舎道だというわけではなく、この時間でも営業している店が数多く集まった市場なのだが、長期の停電――既にひと月近くになる――により、メインストリートとしての機能は停止していた。
 停電の原因は、地下都市で起こった謎の大爆発による。この地区一帯に電気を供給していたターミナルがその大爆発に巻き込まれ、住民は電気を使えない境遇にあった。復旧の目途はいまだ立っていない。
 人々が蓄電機を必要とし、電気整備士を必要とする背景はここにあった。
 まあ、俺らにしてみれば、商売繁盛大歓迎なんだけどな。りゅうはかすかに笑った。
 あの謎の大爆発だって、みんな原因はわかっている。わかっているが口には出さない。言わば公然の秘密であった。
 しばらく真っ暗な夜道を歩いていると、背中で眠っていた晶子しょうこがくぐもった声をあげた。
 「…………おじさん……」
 「なんだよ」
 返事を待ったが、晶子は何も言わない。
 「まったく、起きたなら自分で歩け」
 すると晶子は、流の顔をのぞきこむようにした。例によって目はあまり開いていなかったが。
 「おじさん怒ってる?」
 「重たいからな」
 無表情で切り返すと、晶子は少しむっとしたようだった。
 「あったかいからいいじゃん」
 「背中だけね」
 「……晶子全部あったかいよ」
 「お前は毛布にくるまってるからだろ。俺は真正面から風が吹き付けてくるんだ」
 「……」
 少しの間沈黙が続き、それから晶子はなにやら後ろでゴソゴソやり始めた。
 落っこちても知らないぞ、と流はひとごとのように眩いた。
 「はい、おじさん」
 「あ?」
 見ると、晶子は後ろから手を回し、自分がくるまっていた毛布の端っこをつかんで、流の首にマントのように巻き付けていた。ちょうど一枚のコートを、後ろから覆い被さるようにふたりで着ているような感じである。
 「これであったかいよ」
 その毛布から首だけ出して、なぜか晶子は嬉しそうに言った。内心首もとが苦しいと思いつつ、流はなんとなくぼそりとつぶやいた。
 「……なんかひとむかし前の親子みたいだな……」
 「親子?」
 親子かあ、と少し考えていた晶子は、その発想が気に入ったらしく、何度も親子、親子と楽しそうに繰り返した。無邪気な子供だ。子供と言うよりもむしろ赤ん坊のようだ。
 176センチの巨大な赤ん坊。そう考えて、流はおかしくなった。
 「でかい赤ん坊だよなあ……」
 「え、なに?」
 「……いいや。なんでもない」
 晶子は首をかしげたが、それきり何も言わなかった。しばしの間、沈黙が続く。
 そういえば前にもこんな事があったな。流はぼんやりとそんな事を考えていた。だれだったか、こんなふうに寒い夜道をおぶって歩いた事があったような気がする。そう、ずっと昔のことだ,はるか遠い過去。
 流の視界の端で、一筋の長い黒髪が揺れた。
 一瞬、なぜかその動きに目を奪われた。
 なんのことはない、後ろでひとつに束ねていた晶子の髪がほつれただけなのだが、それは流の記憶を針のようなか細さで鋭く突いた。
 (ねえ……)
 無邪気な声。長い黒髪。
 ああ、そうか。
 流はやっと思い出した。そして、なんともいえない苦い感情が胸の中にじわじわと広がっていくのを感じた。
 (ねえ、寒いねえ……流)
 ああ、そうだ。あいつだ。
 ひとかけらの記憶の断片。あのころは、まだ晶子のように真っ黒な髪だった……。
 吹きつける風に雪が混じってくる。冷たい。
 流はその風に目をすがめた。冷たいな、と口の中でつぶやいてから、胸を刺す痛みにかすかに笑った。恐ろしいほどの自嘲だった。
 そうだ、思い出、だ。何もかも。現実はこんなにも冷たい。
 背中で晶子が身動きした。
 「おじさんどうしたの?」
 「……何が?」
 「別に……なんとなく」
 晶子は眠そうだった。流は苦笑して、なんでもないと言っておいた。しかしその言葉は晶子の気に障ったようだった。
 「おじさん、さっきからなんでもないばっかりだよ」
 「そうかな」
 「そうだよ」
 晶子は怒っていた。唇をとがらせてむくれている。
 流はさらに苦笑した。
 子供だなあ。そんな感想とともに、彼女の姿が別のだれかのものと重なっていることに気づいた。
 流はふと、胸を突かれた。
 ああ、似ている。
 次の瞬間、そう思っている自分に愕然とした。それを振り切るように、とっさに口を開いた。
 「……朝奈あさながね」
 一瞬、ある痛みが胃のあたりをかけめぐった。
 その名前を口にするのはとてつもない努力を必要とした。唇がかすかにわなないたのを感じた。
 でも、大丈夫だ、普通に発音できた。わざとらしくなく、なんでもないことのように。
 首にかかっている晶子の指先がぴくりと反応した。
 「……朝奈……?」
 晶子が小さくつぶやいた。心なしか、その声がこわぱっているようにも聞こえた。けれどきっとそれは流の気のせいだ。過敏になりすぎた五感の影響だ。そういうことにしておこう……。
 流はひとつ息をついた。
 「……朝奈をおぶって帰ったことがあったんだ。こんなふうに」
 晶子は無言で話に聞き入っている。流は溜め息を押し殺して、さらに言葉をつむいだ。ただの懐かしい思い出話を言って聞かせるように。


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