AI -1-
 

 「すまないねえ、こんなところで手間取らせて」
あまり申し訳なさそうではない笑顔でそう言った婦人は、はしごの上で作業を続ける男を見上げた。
「なおりそうかい?」
「ああ。・・・・・・ほら」
男が天井裏の一本の電線を、地階から持ってきた畜電機につなげると、それまで薄暗かった部屋が一瞬にしてぱっと明るくなった。
「こんなもんかな。どう、おばさん」
「ああ。助かるわあ」
婦人は部屋を見回して感動したように言った。男は笑いながら天井の板を元どおりにはめこんで、はしごを降りた。
「やっばり明かりがあるっていうのはいいもんだねえ」
婦人はしみじみとつぶやいた。そして盆の上に用意していたお茶を、タオルで汗をぬぐっている男に手渡す。
「これは何時間くらいもつのかしら?」
「さあ。この蓄電機は小型だから、たぶんもって四、五時間だろう。明かりだけなら二日くらいはもちそうだけどね。あとは昼間に充電だな」
「そうかい。不便だねえ。早く復旧してくれればいいんだけど……」
「最低限生活する上では困らないだろう。暖房は電気じゃないし、冷蔵庫ったって今は冬だからな。食べ物は外に置いておけばいい」
まあ、そう簡単にはいかないんだけどね、と男は苦笑して湯のみを置いた。
「そろそろ帰るよ」
「あら、そう。今日は本当にありがとう。流《りゅう》ちゃんがいてくれて本当に助かったわ」
婦人は笑いながら、お礼にと小さな包みを差し出した。開いてみると、もう冷えてしまったおにぎりが4つほど入っていた。
「帰ってからでも食べてちょうだい」
どうせなら金銭のほうがいいな、と思っていることはおくびにも出さず、流と呼ばれた男は婦人の好意をありがたく受け取った。
「それじゃ」
玄関に向かう流を、婦人はあわてて引き止めた。
「流ちゃん、忘れ物」
「忘れ物? なんかあったっけ?」
首をかしげつつも、婦人にうながされるままに居間へと戻った流は、そこにすやすやと眠る少女の姿を発見した。
ああ、と流は苦笑した。
「忘れ物、ね……」
もう、忘れていっちゃだめじゃない、と婦人は笑ってたしなめた。
少女は5人がけのソファーをひとりで占領して眠っていた。婦人の采配だろう、体の上には薄い毛布がかけられていた。
彼女は流が管理しているアパートの下宿人だった。仕事の帰り際に偶然出会い、一緒に帰ろうということになったのだが、途中婦人に仕事を頼まれたので、この少女も一緒についてきたのだった。はじめは流の仕事を物珍しそうに眺めていたが、やがてあきたのかどこかに消えてしまい、もう帰ったのだろうと思っていた。
「おい、晶子《しょうこ》」
流は少女の肩をつかんでゆさゆさとゆすった。
「帰るぞ」
「………ん……」
少女はうっすらと目を開けたが、またすぐに閉じてしまった。
「おい、晶子」
「…………眠い……」
そりゃそうだろうな、と流は思ったが、これぱかりはどうしようもない。
「置いてくぞー」
「………………んー……」
反応はあるがいっこうに起きる気配のない少女に、流はだんだん腹が立ってきた。
「おい、ほんとに置いてくぞ。いいのか? いいんだな? よし」
流は背後を振り返った。
「おばさん、一晩泊めてやってよ。俺帰るからさ」
「ああ。あたしは別にかまわないけどね」
婦人は快く承諾してくれた。が、ソファーの晶子はその言葉にもぞもぞと身動きした。そしてうっすらと目を開け、自分を置いていこうとしている男に向かって弱々しく抗議した。
「…………おじさんのばか。あほ。まぬけ……」
あまりにも古典的な抗議のしかたに、なんなんだ一体、と流は少女を見てぎょっとした。彼女は目をうるませて今にも泣き出しそうにしていた。おそろしく眠そうな目で、である。
流は大きく溜め息をついて、晶子のそばにひざをついた。ここは自分が折れることにした。子供のあやしかたは手慣れている。
「ああ、もう。わかったから泣くな。それでおまえは俺に何をしてほしいんだ? 言ってみろ、まったく……」
すると晶子は少し安心したようにこうつぶやいた。
「……だっこ……」
「あ?」
「……………おんぶでもいい…………………」
自分で歩けよ、と言う気力も失せ、流は頭を抱えた。なにしろ彼女の身長は170を軽く越えているのだ。重労働で疲れた体に、これは辛い。が、ここに置いていくのも少しかわいそうに思える。明日帰ってきたときに何を言われるかもわからない。
しかたなく、流は無言で少女に背中を向けた。ここは彼女の望み通りおぶっていってやろうと思ったのだった。根本的なところで、彼は子供に甘い。あきらめ半分と言えないこともない。しばらくすると、彼女の重い体が背中にのしかかってきた。
晶子の体を背中に抱えて、そのまま立ち上がるまでは苦労したが、立ってしまうと思ったよりも苦しくはなかった。もともと体型はスリムな少女である。スリムとは言いつつ、育ち盛りの食べざかり、というせいもあり、たしかにかなり重かったのだが。
「……それじゃ帰るよ……」
なんとなく生気の欠けた声で、流は後ろで見守っていた婦人に別れを告げた。婦人はまたね、と明るく見送ってくれた。
「あ、その毛布、返すのはいつでもいいからね」
別れ際、婦人はそう言った。何のことだろうと晶子を見ると、さっき上にかけていた毛布をぐるぐると体に巻いて、ちゃっかり暖かそうにしていた。
流は複雑な思いで礼を言い、その家を出た。

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